前回、相場解説者の人が「最近の相場は幼稚だ」ということを言ってる、という話に対して
私は昔から相場は幼稚だと思ってるので、この物言いには賛成できないけど
的なことを書いたんですが、リクエスト頂いたので(笑) その意味について、今回はちょっと書いてみましょう。


まず最初に、分かってもらいたいのは、解説者のこういう物言いに「イラッ」ときた部分があって、それで、あえて「いや、相場なんか昔から幼稚だろ?」と反発してるっていうのが、ありました。

なぜかっていうとですね
ネット投資がポピュラーになった近年になって投資に参加した人は、あまり感じてないと思うんですが、日本の社会には、昔から
投資は社会的に低いもの
と見る傾向があるんですよね。

だから、一昔前からいる(実践家以外の)相場関係者っていうのは、意識的にせよ、無意識的にせよ、投資に関係していることに対して、コンプレックスがあるんですよ。

昔から、日本人の価値観には『汗水たらして稼ぐのはエライ。尊い行為である』というのが強くあります。
表だっては言わないにせよ、全く机の前に座ってるだけで一切体を動かさない知的労働みたいなことで金を稼ぐのは、悪いことみたいな価値観すらあったんですよね。
中でも、『楽して儲けるのは罪悪』という価値観が強いので、昔の日本は特に 『投資ってのは、働きもせずに楽して儲ける背徳的な行為』という空気があったんですよ。

ホントは全然楽じゃないし、世界的に見ても金融活動ってのは立派な社会労働、それもかなり地位の高い労働なんですけど、日本はそんな空気じゃなかったですからね。

だから、昔からいる相場解説者には、やたら「投機」と「投資」を差別化したがるヤツがいるんです。
先日もラジオでそんな馬鹿なこと言ってる解説者がいましたが、こういう差別化が生まれた背景には、この
情けないコンプレックス
があるんですよ。

要は、投資に関わってることにコンプレックスがあるので、それを「投機」と定義して「投機はギャンブル的に一攫千金を狙ういやしい行為だ」ということにする。
そして、一段高いところに、別の定義の「投資」を置いて
投資は企業活動を応援する行為で、日本経済にも貢献する社会的に立派な行為だ
という風に切り分けてきたわけですね

早い話が、相場はどうしたって濡れ手に粟、一攫千金、棚からぼた餅、的なギャンブルみたいな側面があるので
自分たちは何か後ろめたいことをしてる、立派じゃないこと、うさんくさいことに関わってる
という意識が彼らにはある
そこで、この手の人たちは、自分を正当化するために
いや、自分がやってるのはそういう「投機」ではなく「投資」なんだ
投資は投機と違って社会活動に参加する、社会的意義があって立派で素晴らしい行為なのだ
という理屈を作り出して、やたらめったら強調してきたんですよね。


だからね「最近の相場は幼稚になった」という言い回しを裏返せば
昔の相場は幼稚じゃなかった
ということじゃないですか。
もっと言えば、「幼稚だ」とは、こき下ろし、卑下ですが、裏を返せば、それまでの相場は「そんなに低級なものではなかった」というニュアンスでもあるわけです。
私はその「最近、幼稚になった」という言い方の裏に、その手のコンプレックス人間たちによる
相場は、昔はもっと高尚だった、立派だった
みたいなニュアンスを感じたんです。

私が解説してきた世界、生業にしてきた世界は、昔はもっと高尚だったんだよ、本来はこんなに幼稚じゃないんだよ誤解しないでね
みたいな感じですね。

そこにイラッときたので
んなもんよー、相場なんて昔から幼稚じゃんかよー、何言ってんでーバカヤロー(たけし調)
みたいな感じで、ちょっと攻撃的な気分になってたわけです(笑)


私は、この種の正当化をしている解説者の人は、ちゃんと投資をやってない、やれてない人、稼げてない人だと思いますので、こういうこと言う人の話は信用しないほうがいいと思います
ここ、解説者が信用できるかどうか見分けるポイントのひとつです(笑)
だって、実際にこれで食ってる人なら「相場で継続的に利益を上げることは非常に難しい」ことを知ってるし、たいていの人が負けてるのを知ってるはずです。
つまり「投機」と呼ぼうが「投資」だろうが、ごく少数の人間しか出来ない凄いことなわけで、同じ世界で頑張ってる人にとっては、稼いできる人は尊敬対象である「高度なプロフェッショナル」ですからね。
実際に稼いでる人や、本気で稼ごうとしている人は、いかに難易度の高い高度な世界で、努力や忍耐が必要な世界か知悉していますから、絶対に「相場で稼いでいる人を、投機だとか投機家と呼んでさげすんだり」はしません。

というわけで、話題からいろいろと連想が広がったので、長くなりそうだから分けます(笑)
続きは次回、今回はここまで。